縁の切り方

  • 2017/07/15(土) 16:58:01

人は生きている限り人間関係で躓く。
それが人としての修行であり、それを回避したければ人付き合いをしないか神仏に仕えるしかない。
しかし仮に神仏に仕えても聖職者の隠されたスキャンダルは歴史上古くからあり、寺院の生活も修道院の生活も人間が集まれば自ずと齟齬は生じる。
逆に言えば人の中で人に揉まれて学んでいくことが魂の成長に繋がるのかもしれない。

スピ的には自分の周りは鏡で似たような人が集まると言われるが、社会に生きている限り人を選べない場合もある。
その上人間は自分自身さえ判らないのだから、簡単に人の隠された本質まで見抜けるはずはない。
親子だって夫婦だって判っていたと思ったのに、何かの拍子にこんな面があったのだとぎょっとすることがある。
それが許容範囲であればいいが、どうしても信じられないような部分に気が付いてしまうと、親子なら絶縁、夫婦なら破鏡の悲劇となる。

他人なら簡単に離れてしまえばいいが、それでも親しくしていたり一時は信頼していて理解できたと思っていた友人が、実は思っているような人ではなかったと知ってしまうと人間不信になるほどショックなのだから、これが肉親や夫婦だと心理的ダメージが大きすぎてしばしばトラウマやPTSDになってしまう。

最近芸能界を賑わせている夫婦の泥沼離婚劇で、妻の方が夫を誹謗中傷する動画をアップしてストーカーのようなことをやっている。
炎上商法でまた注目されたいのかもしれないが、もともとこの女性はメンタルに偏った部分があり嫉妬に狂うと手が付けられないようだ。
顔を見ていると何かそれ系の物の怪を憑けているような感じだが、縁あって結婚したのにあまりにもこの顛末は恐ろしい。
こういうタイプの女性が丑の刻参りで藁人形に釘を打ち付けたのだろう。

ここまで来ると人生の修行どころか因業を積んでいるとしか思えないが、縁は結ぶ時より切れる時の在り方によって徳になるか業になるかも変わるような気がする。
どんな嫌な相手でも憎んだり呪ったりすればそれは自分のカルマを増やすことになるが、不条理だと思って怒りを感じてもやがてそれは人生の勉強だったと考えられるようになれば霊的進化と言えよう。

人生を変えられるほどひどい相手でも、逆に自分もその人を選択してしまったのだから、交通事故のように0対100はない。
激しい葛藤や別離を経て違うステージに行くことが出来れば、同じような相手とはもう会わなくて済むだろう。
親子、夫婦は特別なカルマで結びついているとしても、普通の人間関係の中では縁が切れる時もそれは必然だと思い必ず失ったものと得たものを考えてみた方がよい。
お花畑スピのようにどんな相手にも愛を送ろうとは言わないが、痛い思いも人としての学びだったと思える別れ方ならそれは決して業にはならない。

くだんの修羅場夫婦は、夫の方が今逃げ出さないと彼女に食べられてしまうような気がする。
まあ、逃げても呪詛されるから結界を張るしかないかもしれないが。
先頃話題をさらった秘書暴行の女性議員と言い、今の日本は人心が乱れて禍々しい邪気が蔓延しそれに乗っ取られる人が増えているのではないだろうか。


スポンサーサイト

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事に対するコメント

コメント投稿

管理者にだけ表示を許可する