我思う故に我在り

  • 2017/08/12(土) 16:49:28

先日友人からもらったメールの中に、心に飛び込んできた引用文があった。
「人の人間としての器の大きさは心を病むことなくどのくらい深く苦悩できるかどうかでわかる」
心理学者河合隼雄のエッセイの言葉だそうだが、これを読んだ時に自分の求める人間の姿を言い当てているような気がした。

苦悩は人間として生きる上で必ずついて回る。
苦悩を否定し享楽的に行きたり、考えること自体を嫌う人間もいるが、私は苦悩こそが人間の人間たる所以だとずっと思ってきた。
今はスピ世界でも何でも手放し宇宙にお任せ的な考えが流行っているが、しかし霊的にも魂は人間の経験をしたくて生まれて来ているわけだから、勿論感情は言うに及ばず心の葛藤苦悩は人間でしか出来ない唯一無二のものだ。

私は人生を顧みて、どれだけの時間を考えることに費やしてきたかわからない。
それを無駄で不毛な時間と考える人もいるだろうが、私は苦悩を含めて敢えて避けずに対峙してきたつもりだ。
メンタルを病んでもおかしくないような局面も何度かあったし、今もかなり潜在意識と向き合う辛い時間を過ごしているが、これが私の人として経験すべきことだと思っている。

様々な人間がいるから、中にはなるべく考えず感情と欲だけで単純に生きて行こうという目標の人もおり、それはそれで彼、彼女の今生でのプログラムかもしれない。
また、転生回数の短い宇宙由来の魂も感覚や直感で生きているから深い思考や苦悩というもの自体が苦手で分からないだろう。
しかし人間の文明は深く考えた者たちの手によって作られて来たし、そこには宇宙由来でもオールドソウルが沢山いただろう。

「我思う故に我在り」と言ったのは哲学者デカルトだが、この言葉こそ人間のアイデンティティーを表していると思う。
デカルトが宇宙由来の魂で人間の在り方を教えるために哲学者になったのではないかと思うほどだが、考える、悩む、苦しむは人間の精神には不可欠であり、それを突き詰めれば突き詰めるほど人間スキルも上がるのかもしれない。

敢えて苦悩などしたくないのは誰でも同じだが、一生苦しみや悩みに出会わない人間はいない筈だから、人間としてのスキルを上げるためにそこから逃げずに向き合っていけば、自ずと人としての器は広がり霊的成長も遂げられるのではないだろうか。
ただ、私は決して苦悩を肯定しているわけではないし、肯定すればずっと苦悩続きの人生になってしまう。
つまり自分がそれを引き寄せるわけだ。
そこが大事で「もし遭遇したら」というのを付けなければこれはかなり辛い生き方になる。

思うに私は自分にそれを肯定していたかもしれないのを記事を書いていて気が付いたので、もうそこは手放したいと思う。
少なくとも私は十分苦悩してきたので(笑)、今潜在意識と向き合ってその浄化をしているのかもしれない。
苦悩を深めても苦悩の末にそれを糧に出来る光を見つけることが最終目的のような気がする


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